中国ブラ歩き その12
ちょっと久しぶりの中国ブラ歩きです。今回はアモイの街を紹介します。
厦門と書き、シャーメンと読みますが、日本ではどういうわけか、土地の方言での発音アモイのいい方の方が知られていると思います。とは言ってもほとんどの方がどこにある街か分からないと思いますが、簡単に言えば上海と香港の間にある福建省の島であり、港町です。アヘン戦争後の南京条約で広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港が決められここアモイも海外に向かって開かれることになりました。余談ですが、アヘン戦争とそれに続く南京条約は列強によるアジアの支配がせまっているということで、日本でも吉田松陰や佐久間象山ら幕末における改革の機運を盛り上げるなど大きな影響を与えました。今のアモイは温暖で風光明媚な観光地であり、産業の発展もすさまじく、中国のなかでも豊かな地域となっています。
さて、今回紹介するのはまず、胡里山砲台です。胡里山砲台は厦門島の西南、厦門大学の近くに位置しています。清時代光緒年間(1841)に建てられました。自慢は当時の世界最大の大砲(ドイツ製)です。長さは14m、重さ60トン、口径28cmあります。
砲台の丘

海を望む

これがその大砲の威容

近くのアモイ大学の校門

木綿花がきれいです

この地から世界に出て行った華僑の信仰を集めている南普陀寺に行ってみましょう。

ちょっと違和感のある仁王さん




上からのアモイ市街のながめ

次回もアモイのを紹介します。
Tp.福森

にほんブログ村

にほんブログ村
厦門と書き、シャーメンと読みますが、日本ではどういうわけか、土地の方言での発音アモイのいい方の方が知られていると思います。とは言ってもほとんどの方がどこにある街か分からないと思いますが、簡単に言えば上海と香港の間にある福建省の島であり、港町です。アヘン戦争後の南京条約で広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港が決められここアモイも海外に向かって開かれることになりました。余談ですが、アヘン戦争とそれに続く南京条約は列強によるアジアの支配がせまっているということで、日本でも吉田松陰や佐久間象山ら幕末における改革の機運を盛り上げるなど大きな影響を与えました。今のアモイは温暖で風光明媚な観光地であり、産業の発展もすさまじく、中国のなかでも豊かな地域となっています。
さて、今回紹介するのはまず、胡里山砲台です。胡里山砲台は厦門島の西南、厦門大学の近くに位置しています。清時代光緒年間(1841)に建てられました。自慢は当時の世界最大の大砲(ドイツ製)です。長さは14m、重さ60トン、口径28cmあります。
砲台の丘

海を望む

これがその大砲の威容

近くのアモイ大学の校門

木綿花がきれいです

この地から世界に出て行った華僑の信仰を集めている南普陀寺に行ってみましょう。

ちょっと違和感のある仁王さん




上からのアモイ市街のながめ

次回もアモイのを紹介します。
Tp.福森

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト